岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

映画「パージ」を見て映画評論について再び考える

映画を見るにあたり、シリーズ化されているものはその第1作はなるべく見ておくことにしています。シリーズ化されているということは何かしら良い点があったはずで、それならば見ておこうというわけです。

「パージ」というこの映画もシリーズ化されていることはぼんやりと頭に入っており、またあらすじを読んでその設定が面白そうなので、見てみました。見終わった感想は『暇つぶし用映画としては面白くてシリーズ化されるのは分かる気がする、ただし心に残るものはあまりないかな』というものでした。そして例によって映画を検索したところ、Wikipedia上に辛口な映画評論が出ていました。

Wikipediaで引用されていた評論をさらに要約すると「陳腐で暴力表現が多い」「表現が工夫されていない」といったものです。
陳腐という部分については、これまでも主張されてきた考え方を誇張して表現しているだけに、たしかに分かる気がしますが、ただこの映画に限って非難されるのは少し気の毒な気がします。「表現が工夫されていない」という点も、逆に言うと分かりやすい表現を徹底したことになり、必ずしも悪いことではないのかな、と思いました。「暴力表現が多い」というのは100%同意しますが、ただ暴力表現は一概に否定すべきものでないように思います。

シリーズ化されているだけに商業的に成功したことは確かであるにも関わらず、評論家の意見が辛口なのは、映画を消費するだけの個人と評論を通じて映画に価値をもたらそうとする評論家の立場の違いなのかもしれません。
評論とは様々な解釈を示して作品に奥行きをもたらすものだと思っています。その意味でこの映画のように分かりやすすぎる映画が乱造されると、評論家にとって活躍の余地が狭まるわけです。子供向けの夏休み映画に対する評論は想像しにくいです。

そうした背景というか私の邪推のみによって辛口の評論になったとは思いませんが、分かりやすい映画は評論家にとって天敵なのだろうなと思いました。以下リンクにあるように、作り手の思いがいろいろなところに含まれている映画では、評論はとてもありがたいのですが…

reedonshore.hatenablog.com

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