岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

佳作を見て評論について考える。映画「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

事故で妻を亡くした主人公の喪失感と変化を描いた映画です。余韻の残る良い映画だなと思ったのですが、ふとネット検索したところ、もの凄く詳しい解説が載っており、その解説の深さに膝を打つと共に、一つの映画からここまで多くを引き出せるものかと驚きました。

評論や解説を読むと、本当にそこまで深い意図をもって作者が描いていたのか?と思うことが多々あります。「さすがにそれは深読みしすぎでは…」というやつですが、今回の映画で読んだ評論・解説はそうしたことがほとんど無かったです。そしてこの映画だけでなく一般論として、文芸評論と映画評論を比較すると後者の方が深読み度合いが低いような気がします。

文芸評論に深読みが目立つ理由について自分なりに考えました。小説はその解釈において読者に委ねられる部分が大きいのに対し、映像作品は伝達される情報が多く、それ故に製作者の考えが伝わりやすい点が理由である気がします。映画の評論者は製作者が発した深読みができない程度に十分な情報を受け取り、解釈しているので、深読み度合いが低いのでは、という推察です。
ただ伝達情報が多ければ多いほど良いかというとそうでもなく、作品の中で明確に説明する箇所が多すぎると、受け手側に解釈の余地がなくなってしまい、いわゆる深みがなくなってしまうように思います。何でもかんでも事細かに説明されてしまうと、興ざめです。

たとえ深読みしすぎと思ったとしても、自分には読み取ることができなかったことを評論を通じて受け取ることができるのはありがたいことです。たとえ情報量の多い映画であっても製作者の意図を汲み取れていないことはよくありますので…。ちょっとした奥深さを感じた作品については評論や解説も読んだ方が良いなと思いました。

reedonshore.hatenablog.com

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