岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

国家に進んで協力すること。映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」

アマゾンプライムで見た映画です。題名の通り第2次世界大戦末期のヒトラーを取り巻く状況を描いています。
戦争に負けることは国家という大きなシステムが崩壊することを意味すると思いますが、既存の秩序が崩壊した時に人はどう行動するのかを考えるのに、良い映画だと思います。

まず思ったのが、一般のベルリン市民が生きるか死ぬかの状態の時に、国の指導者層は安全な場所で豊かな暮らしをしていたこと。国家指導者の安全が確保されるのはある程度は仕方ないとして、一般市民があっけなく死んでいくのに対し、指導者たちの死は厳粛だったりします。ま、この映画は指導者層たちが終戦時にどう行動したのかを描く映画ですので、彼らの死に焦点があたるのは当然ですね。

また映画の中で指導者が、貧相な装備で戦う市民軍に対して、「彼らは自主的に戦っているのだ」とうそぶく場面があり、これには考えさせられました。指導者たちからするとこうした市民は都合の良い駒にすぎず、進んで指導者層に協力してもイザという時には「彼らは自主的に行っているのだ」ということになってしまいます。

このあたりはコロナ初期に起こった自粛をめぐる議論を思い出しました。自粛要請に対してどう対処すべきかはかなり議論になっていたと思いますが、最近はそうした議論は聞かれなくなりました。
要請されている行動が、(細かく言うと変なところも多いものの)総合的には納得性の高いものであることが、その背景なのでしょうか。それとも異常事態を受け入れる「諦めの境地」に達したということなのでしょうか。
このあたりは時が経って振り返ることになるのでしょうね。どのような総括が行われることになるのか、楽しみです。