岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

贋作の価値とは。映画「ナチスの愛したフェルメール」

最近、ビットコインやNFTについて考えるときに、絵画の価値に考えが及ぶことがあります。いずれも原価はほぼ無価値(電子情報または古紙・古布)ですが、皆が価値を認めるからこそ、価格がつくわけです。そんなことを考えるときに見たのがこの映画、フェルメールの贋作をめぐる物語です。

贋作というとオリジナルにそっくりな作品を製作し、オリジナルとして売るものだと思っていましたが、この映画ではまったく新しい作品を作って売るという、意外な発想でした。具体的にはオリジナルはフェルメールですが、彼ならこうしたタッチで絵を描いた時期があったはず(絵画の特徴が変化しているそうで、その過渡期の絵画が見つかっていないそうです)という理屈から、その架空の制作時期の絵画を作って売るようです。
贋作を自ら作るという発想に驚くとともに、新しい作風の絵を作って評価されることは、もはや自身の作品が評価されたのとほぼ同等と言って良いのでは、という気がしました。フェルメールの作風に対する理解と絵画技術を習得する必要があるわけですから。そして実際に贋作を作った主人公も同じようなことを考えていたようです。ただ、その作品の価値は著名作家の作品であることが前提となっているわけですから、騙しているという意味では、やはり犯罪になってしまいます。
改めて言うまでもないですが、価値評価の前提が正しい、もしくは開示されていることが求められますね。「開示されている」というのは、この作品は「フェルメールの〇〇期の作風を想像して、☓☓が作った作品です」ということが開示されていれば、なんの問題もなかったということです。

そんな理屈っぽいことも考えましたが、美しい映像が楽しめる、映画としても良い作品でした。機会がありましたらぜひお楽しみください。