岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

格差をどう捉えるか、映画「ホテル・ムンバイ」

昨日、ジェフ・ベゾスの元妻(マッケンジー・スコット氏)が格差是正のためにその財産を寄付したことを材料に記事を書きました。この記事に関連し、最近見た映画を通じて格差に対する自身の考えを再認識させられたので、記録にしておきます。
「ホテル・ムンバイ」という映画、インドの高級ホテルがテロリストの襲撃を受けるのですが、従業員らの奮闘によってその被害を抑えることができたという、実話をもとにした話です。被害を抑えることができたと言っても多くの被害者が亡くなっており、テロ自体はまったくもって容認できるものではないことを、はじめに確認させてください。

さて、ホテルの従業員がVIP客を迎え入れる準備をしているシーンで映画は始まります。客を迎えるにあたり、従業員たちはかなり細かいところまで入念にチェックしているのですが、それでも「間違いがあったらクビだ」と戦々恐々です。そのうちVIP客が現れるのですが、この客は大富豪の娘とその家族(夫と子供、ベビーシッター)のようです。
話は進んでテロリストがホテルを占拠することになり、このVIP客は家族もろとも巻き込まれることになります。通常だと「テロリスト憎し、なんとか無事に脱出してほしい」と思うのでしょうし、その他の客についてはそう思ったのですが、このVIP客についてはそう思いませんでした。

自分のそうした反応を意外に思い、なぜかと考えたのですが、その理由が格差であるように思いました。このVIP客は生まれながらに格差の恩恵を受けて生きてきたのだと思います。映画の冒頭シーンにあったような周囲の気遣いも、それまで当然のこととして受けてきたのでしょう。その背景は自身の富であるのですが、それは自身が得たものではなく相続ないしは両親の援助によって得たものになります。自身が蓄積した富ならともかく、両親が蓄積した富に基づいた恩恵というのは、少し引っかかります。さらに言うと、自身が蓄積した富であっても兆円単位の富が蓄積されるのは、どこか不健全な気がしています(ちなみに数百億円くらいまでは自然な気がします)。

両親の蓄積した富といっても、もちろん相続税贈与税を払った後の富なのでしょうから、なんら後ろめたく思う必要はなく、また自身が生み出した付加価値に対して報酬を得るのは当然のことであることは分かります。また報酬が同じになってしまえば、努力や工夫をするインセンティブはなくなり、社会の進歩はかなり遅くなるでしょう。私も格差はあって然るべきだと思います。
ただし格差があまりに大きくなると、社会秩序の安定という観点から格差が是認されないことも十分にありえると思います。新興国における格差は大きいと聞きますし、冒頭シーンにあったような過剰な気遣いが上流層に対する反発に結びついて、社会秩序がひっくり返ることがあってもおかしくありません。実際にテロリストの「大義」には格差に対する反発もあったようです。

格差はあって然るべき、ただしその差が大きくなりすぎてはいけないと考えています。