岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

異国の習慣をどこまで許容すべきか。ワールドカップのレインボーカラー騒動をめぐり

イスラム圏のカタールで開催されているワールドカップで、性的少数者の象徴である虹色(レインボーカラー)が禁止の対象になっているそうです。西側諸国の代表チームがレインボーカラーを腕章にしようとしたところ、主催者が腕章の着用を禁止したり(後述の通りこれはカタール国内の政治問題になるため、主催者としては政治とスポーツは別ものと整理しているようです)、レインボーカラーを着用した観客と主催者の間でトラブルが起こったりしているとのことです。

こうしたことが起こるのはカタールでは同性愛が違法とされているためです。違法行為を賛美するような行動が公に行われるのは治安維持の観点で困るという、カタール行政側の都合は理解できます。同性愛を認めるべきというのは先進国でほぼ一般化した認識だと思いますが、先進国の論理が世界各地で通用すべきと考えるのは先進国の傲慢と言えるかもしれません。外国を訪問する際は現地の習慣を尊重する姿勢があっても良いというのもうなずける意見です。

一方で同性愛が違法になっていることを人権問題と捉えた場合、人権侵害はたとえ現地の習慣であっても許容することはできないとする考え方があります。この立場を取る人は今回のワールドカップの問題のように、その国に対して積極的に働きかけることになるわけです。この働きかけが極端になると、最悪の場合に戦争になることもありえます。
(例えば今回のロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナ国内のロシア系住民に対する人権抑圧を止めさせることが、その大義名分だったと思います)

このように考えていくと異国の習慣をどこまで許容すべきか、逆に自国の習慣をどこまで押し付けるべきかは、その問題が人権問題なのかどうかによるのだと思いました。人権問題であれば、それは自国の習慣にとどまらず、なんらかの働きかけを行ってでも正すべき事項ということなのでしょう。異なる文化圏で開催される大型イベントはいろいろな論点を提供してくれます。

reedonshore.hatenablog.com