岸辺の日記

日常のあれこれを記録します

オリンピック開催の成否に見る政治家の役割。政治的決断に必要なのは理念か、世論か

オリンピックの開催をめぐり、開催者側と国民の間で、考え方に乖離が見られます。世論調査によると多くの国民がオリンピックの中止や延期を求めているようですが、開催者側はまだまだ開催を諦めておりません。
ここでいう「開催者側」は政府や関係者だけでなく、オリンピック開催が自身の収入に直結する人も含まれます。開催を希望する国民は比率としては少ないようですが、確実に存在します。国民の間でも開催を希望する人と、そうでない人がいるということです。

政治は利害の調整手段と言われます。今回のオリンピックのように賛成・反対が明確に別れてしまった時に、最終的な意見調整・どちらかを選択するのが政治の役割になるでしょう。現在、政治家は両者の妥結点を模索しているのだと思いますが、考え方の隔たりは大きく、妥結点を見出すのは難しいように思われます(オリンピックに限らず、いったん政治問題になってしまうと解決は難しくなりますね…)。
そうした際に政治家は「政治的決断」として最終決断を下すことになるわけですが、政治的決断を下す際に政治家はどんなことを考慮すべきなのでしょうか。リーダーシップを有する政治家が国民の向かうべき方向を指し示すことが理想的かもしれませんが、普段の政治家の言動を見ていると不安になるところがあります。とはいえ単純に世論を反映させるのも、アジア太平洋戦争で国民一丸となって戦争に突き進んだ歴史を有する日本人としては考えものです。

政治家は「落選すればただの人」とよく言われ、自身が選挙民からどのように評価されるのかにとても気を配っているはずです。その意味で政治家は、自然と世論調査の結果や世の中の雰囲気に敏感になるのでしょう。その言動を見ていると不安になることが多い政治家ではありますが、選挙民の意向を考慮した上で、自身が理想とする社会をどう実現するのかを考えているのだとすると、その決断はある程度信頼できるものかもしれません。